「特変」結成編4-6「壁に包まれた妹(1)」
あらすじ
「亜弥。一緒に、見てみよう」☆「「特変」結成編」4章6節その1。色々平和な話を載っけてきた日常章、いよいよ本番のエピソードが始まります。
↓物語開始↓
Kenichi
――人生を転換させた日は、一般的には忘れようのない日であったりする。
Kenichi
具体的には、その時が何年度の何月何日の何時だったのか、までとても長期的に記憶されうる思い出なのだ。
Kenichi
……だが、俺はそれについては、覚えていない。
もういつだったのか、俺的には昔と云って間違いないのだが、忘れてしまったのだ。多分、どうでもいいことだったのだろう。
Kenichi
亜弥と出会い、亜弥と過ごしてきた時間は、どれほどの年月が経っていたとしても、彼女に進展がないのなら、それはゼロに等しいからだろう。
Kenichi
だったなら、矢張り意味は無い。
昔などどうでもいい。
Kenichi
先が、欲しい――

【亜弥】
――――

【謙一】
…………
Kenichi
時々、見せる顔だった。
Kenichi
俺は亜弥と常に一緒に居るわけじゃない。学園に行っている間、俺は亜弥の顔を見ていない。
だから、本当は時々なんてものじゃないだろう。心を開いてくれている俺が居ても見せるソレは……今の亜弥の状態を象徴する。
Kenichi
――亜弥は、まだ生まれていないのだ。

【謙一】
亜弥

【亜弥】
――……?

【亜弥】
兄さん……? どうしました……?

【謙一】
何考えてたんだ?

【亜弥】
……特に、何も考えておりませんでした。ボーッと、してしまったみたいで

【謙一】
暑いんじゃないか? 今年も観測史上最大級の暑さらしいからさ

【亜弥】
大丈夫、ですよ。私は、寒さの方が寧ろ苦手ですので……

【亜弥】
夏季であっても、兄さんの側にいたいです

【謙一】
兄さんも灼熱を覚悟しないとなぁ
Kenichi
夏を恐れるようになって、真っ先にやったでかい買い物は、おニューの冷蔵庫だった。
具体的には、製氷機能を搭載した結構最新だったやつ。
Kenichi
節約家としてはものっそいダメージだったし、何より此処に持って帰るまでが大変だったのは憶えてる。だけどどうでもいいことは覚えてない。
Kenichi
このボロい家で生活するようになってからは毎日が死闘のようだった。
それは、今も変わってないのだと――亜弥の顔を見る度に思い知る。

【謙一】
今日は終業式だったんだ。いやー最近は平和で、これから夏休みも多分平和だぁ

【亜弥】
……………………

【謙一】
……どした?

【亜弥】
単刀直入に申しまして、まだ信じ切れないといいますか……

【謙一】
単刀直入になりきれてないリアクションだけど、それはつまり、俺が夏休みも学園に通い詰める羽目になると予想してるわけか

【亜弥】
兄さんの学園は、兄さんをいっぱい痛めつける酷い処ですから……

【謙一】
兄さんの学園に興味あると云っておきながらその印象なのか……
Kenichi
なんか最近、亜弥はちょっぴり不機嫌なところがある。
流石にそれがいつからだったのかは正確に覚えている。あの火曜日だ。
Kenichi
結局打ち上げに巻き込まれて満身創痍で帰宅したところ、案の定、朝っぱら突然そんな感じで帰ってくるかも~と予告された妹はビックリされたわけだ。
Kenichi
怪我自体はすぐに治ったものの、亜弥的にあのイベントは許しがたかったらしい。てか詳細は全然話してないんだけど……。

【亜弥】
修学旅行なるイベントの代わりに兄さんはお休みを入れた筈なのに、結局毎日お外に駆り出されて……

【謙一】
人附き合いってのは大変なもんなのさ

【謙一】
理不尽ではあったが、決して悪い人たちじゃないよ。特変と学園長殿はちょっと話は別だけど

【亜弥】
思いっ切り兄さんのホームフィールドではないですか……

【謙一】
悲しいことにそうなんだよなぁ……
Kenichi
と、お外のネガティブな話はこれくらいにして……。

【謙一】
亜弥は何やってたんだ?

【亜弥】
兄さんが以前、借りてきてくださった写真集を眺めていました

【謙一】
ああ、これか……
Kenichi
300ページ超えの大型本の割には、内容は子ども向けの、世界百景。絶景を写した写真集だった。
この前図書館棟に行ったときに、砂川にお勧めの本を訊いたら、嫌々そうにしながらキッズコーナーまで案内してくれた。あの後輩、結構特変の空気に慣れてきた感じがするな……単に俺が舐められてるだけかもしれないが。
Kenichi
因みに何でキッズコーナーが設けられてるのかというと、別に真理学園の学生はそのレベルなんだと皮肉られてるわけではなく、単に児育園で紹介しているものも図書館棟にて整理してるってだけだ。加えて云うと、古くなって使わなくなった教材の一部も図書館棟に置いてるとか。
Kenichi
一体あの図書館、どんだけ広いのだろうか……砂川たち図書委員も蔵書数は把握できてないらしい。

【謙一】
あの時はこの後輩舐めてやがるな、どうこらしめてやろうかな、とか思ってたけどファインプレイだったな
Kenichi
話を戻すと、その子ども向けコーナーにこの本があったわけだ。
最近亜弥は文字とか言葉とばっかり睨めっこしてるから、画質も綺麗だったし、久々に右脳を思いっ切り刺激させようという狙いで借りてきた。返却期間は基本2週間だが、他学生の予約が無い限りは夏休み中返却不要とのことだ。

【謙一】
どうだ、何か気になるところあったか?

【亜弥】
表紙です
Kenichi
まさかの表紙だった。
Kenichi
世界百景のセンターを担当していたのは、南湘住民にとっては当たり前のように存在する公山。

【謙一】
冨士か。ベタだな

【亜弥】
兄さんの話によれば、近くに在るというので……山というものが、私にとっても身近に存在するのだと思うと、少し不思議で……
Kenichi
光景というより、この光景が自分の近くにあることに対して刺激を受けたようだ。
Kenichi
ただ、亜弥の近くにこの山が……とは、俺は思っていなかった。
Kenichi
この子は冨士を知覚していないのだから。見たことがないのだから、冨士と自身との関係を察することなんで、できるわけがない。
Kenichi
つまり、全くの別世界だった。

【亜弥】
――――

【謙一】
亜弥?

【亜弥】
え? どうかされましたか……?

【謙一】
またボーッとしてたかなって

【亜弥】
……そう、だったかもしれないです
Kenichi
生きる者誰もが、その場に留まり続けることなどできやしない。万物流転、それがこの世の原則だからだ。
それでも留まり続けようと――留まるしかできないというのなら、その存在の保障はされかねる。
Kenichi
ボーッとしているだけ……ならいいんだが。俺は正直心配だった。
亜弥は、大丈夫なのだろうか――?
Kenichi
今、亜弥の世界の全景は、この家だった。
亜弥の世界の最東端から最西端まで、或いは最南端から最北端まで、その距離は僅か20~30歩程度。
Kenichi
箱庭、なんて表現は綺麗で、似つかわしくない。
古くて、牢固な、壁に包まれただけの妹。
Kenichi
――地下人形。

【謙一】
……亜弥は

【謙一】
今でも、思ってるか? 知りたいって

【亜弥】
兄さん――?

【謙一】
……亜弥は、どう育っていくべきなのか

【亜弥】
――!

【謙一】
もう決めてることではある。俺は亜弥を、地上に出すと約束したからな。だから今まで、色んなことをみせてきたし、話してきたし、教えてきたし、まず最初に……“私”を教えた

【謙一】
だが、その先は……分からない。まずその先に辿り着けるのかというのに俺は全力でぶつかっていかなきゃいけないから、そこまで考えてこなかった。そもそも俺も分からないことだしな

【謙一】
だから、亜弥は……亜弥なりの答えを出さなきゃならない

【亜弥】
……兄さん……

【謙一】
ごめんな、そんなこと云われても分かんないだろうに。こんな環境じゃ――

【亜弥】
――見たいんです

【亜弥】
私は……関心を、持っています。烏滸がましいですが、私は……その、地上に――

【亜弥】
兄さんが見ている世界に、一番、関心が向いているんです。この辞書の言葉たちの、何にも勝って、兄さんが語ってきた、兄さんが解釈してきたものを、私も見てみたい――

【亜弥】
――それが、今の……私の、一番落ち着いている答えです……

【謙一】
人生字を識るは憂患の始め――俺たちは、ともにそれを経験している。恐らく現在進行形で

【謙一】
亜弥は、今も、あの時と同じ答えを持ってるのか?

【亜弥】
……私は……
あの時とは異なり、亜弥は即答しなかった。
その時間は、まさに兄妹にとって死闘だった。
十数秒、目を瞑り、闇に囲まれ自分で弄る回答の時間。
妹が目を瞑るその間、謙一は写真集の表紙を眺めていた。
大輪大陸屈指の美山。標高でいえば彩解大陸の山々には大きく見劣りするが、それでも世界から高く評価され続けてきた雅の姿。

【謙一】
凄え……!!

【奏】
は……初めて、見たよ……こんなの、朝に冨士を見る、なんて、冨士美町に住んでる私じゃ珍しくないのに……

【美甘】
冨士美町なんか目じゃない……この、冨士美草原こそが、世界一冨士を美しく見れるところなんだよ

【情】
冨士美草原――? 初めて聞くぞ

【美甘】
堀田家で名付けた、堀田家しか知らない場所。だから知らなくて当然さ……

【美甘】
むしろ、あんまり知られたくないくらいだ

【奏】
そうなの……?

【美甘】
こんな最高の景色を独占してるんだ。悪い気は、しないだろ?

【謙一】
…………

【亜弥】
見たい、です

【亜弥】
兄さんを虐める学園を。兄さんが教えてくれた社会の姿を

【亜弥】
……兄さんの居る世界を、私も、見てみたい……

【亜弥】
兄さんの、地上を――
Kenichi
怯えるような、柔らかい笑み。
Kenichi
思考で導き出され、言葉によって紡がれた、回答。
Kenichi
それもまた、刃。
何を傷付けるか分からない。亜弥自身を殺傷するものにだって、なり得るだろう。
Kenichi
だが――

【謙一】
結局お前達はどう生きたいのか? どんな道を進みたいのか? それは当然俺に分かるわけないし、これから先特変が定める予定もない、故に他でもないお前自身で考え抜くことだ

【謙一】
そしてお前の決めたその道を、歩きたいお前の背中を、この学園には元から後押しするシステムが整っている! 優海町という人格がお前を信じる

【謙一】
……お前たちは、平賀の城で捨て駒として尽くしていく道を、選びたかったのか?

【謙一】
ちょっとでも反抗したら貼り付けられるような世界に、自分の立場を全て有無を云わせず決められる道で、幸せになれると思ってたのか?

【謙一】
俺は、そういう奴は……

【謙一】
もう人じゃないと、思ってる

【謙一】
半分以上俺のぼやきだ。最悪忘れてもらっても構わない。どう受け止めようが、俺たちが嫌われてることと俺が学園もといお前らが嫌いなのは変わらない

【謙一】
ただ、事務的な話に入るが……特変破り封印はマジでやる。徒に俺たち倒そうとするよりも前に、お前らはまずこの学園で何をやりたいのかを常々考えろ

【謙一】
その上で俺たちが邪魔ってんなら、来いよ。学園長っていう裏口使わず真っ正面から俺たちに申請用紙渡しに来い。そんなこともできない奴がこの学園の外で満足に生きていけると思うな

【謙一】
お前の道に俺たちが関係ねえってんなら鮭沢見倣って俺たちガン無視でひた走れ。何か協力してほしいことがあるなら、俺たちの処にも来てみせろ。結果は何も保証できないが、それくらいの覚悟を以て毎日を過ごせ

【謙一】
そんなの考えられねえよっていうなら、それもお前の立派な一つの選択だろうさ。全力で遊べ、全力で勉強しろ。無駄な経験なんて寧ろ希有だ、お前の過ごした全力の時間はお前の糧になる

【謙一】
……人のことを云えた義理じゃないがな。だからコレは、俺にとっても良い機会だよ。俺は、少なくとも封印期間中は確実に、お前らの上に座す権力者だからな――

【謙一】
お前らの誰よりも、この学園で幸せ掴み取ってやるよ畜生
Kenichi
真理学園生は、立ち止まってはいられない。
Kenichi
誰よりも俺は幸せにならなければならない。
Kenichi
もしかしたら今が、その試練の佳境なのかもしれなかった。
ならば――

【謙一】
……俺と一緒に、走ってみるか

【亜弥】
え――?

【謙一】
亜弥。一緒に、見てみよう

【謙一】
地上を