「特変」結成編4-4「彼園(2)」
あらすじ
「――美味しいって、云ってくれるかな」☆「「特変」結成編」4章4節その2。続・彼園町です。そしてあの子が不意打ち登場でまさかのちょっとニヤニヤ回。※次から日常章のいわば本番です。
↓物語開始↓

【謙一】
さて、今度こそ帰――んん??
井澤謙一、駅のデジタル広告に反応。

【謙一】
タイムセール……っええ!? 朧月夜10kgが700円!? 何処だ、何処のデパートだ!?

【黒田】
んー? 何だどうした井澤??

【謙一】
朧月夜10kgが700円なんだよ!!? お前らどうしてそんな平然としてられるんだ!?!?

【廿栗木】
あーそういや貧乏癖あったなぁコイツ……

【謙一】
えっと――ビリビリちゃんぷー彼園店、か。場所は――覚えた! 北口だな、よし俺用事できたからお前らじゃあなー!!

【四谷】
え……あー、行っちまったなぁ。どうせならもっと弄くり回してやりたかったんだけどなぁ

【黒田】
米食いたかったのか? だったら俺んち来れば良かったのによ!!

【廿栗木】
どいつもこいつもめんどくせーからあたしは完全直帰だぁ……

【四谷】
え? 何云ってんのガングロ、今からゲーセンだろ?

【廿栗木】
聞いてねーえんだけどおぉおお!?!?
Stage: ビリビリちゃんぷー彼園店

【謙一】
グッ……凄い人口密度だ……!!
Kenichi
決して大きくはない駅チカデパートに入った途端、肌に感じるこの熱気……!
何だよ、彼園も捨てたもんじゃねえな……! とかさっきまでシリアスが台無しになりかねない感想を抱きつつも、俺は目的のお米コーナーを嗅覚で探知する……。
Kenichi
丁度お米切らしかけてたんだよな……だから優海の商店街でタイムセールのタイミングに買い込もうと思ってたんだが、これまた恐ろしい聖域を見つけちまったよ!!
Kenichi
だが此処の空気は、聖域っていうか寧ろ戦場。

【謙一】
面白ぇ……彼園の主婦とこの俺、どっちの執念が上か、小手調べといこうじゃねえか(←全力)
戦闘態勢の人混みへ突入開始!!

【客】
きええぇええええええええええ!!!

【客】
だらああぁあああああああああ!!!

【客】
負けないっ!! 負けないっっ!!!

【謙一】
やるじゃねえか……! 流石、一家の胃袋を管理してるだけのことはある――だがっ!!
Kenichi
俺だって、管理する日々に追われてる人種!!
決して遅れなど取りはしないぜ――あった、朧月夜!! マジで700円だよ!!

【謙一】
特に賞味期限とかも、問題あるようには思えない……よほど客寄せに困ってたのか
Kenichi
となると、米だけじゃない、他の品々も折角だから見ておこうか。
無駄遣いしないよう、何なら今購入してもメリットが上回るかを見極めて――
端から見れば大乱闘。傷を負う者も少なくない。
そんな中で、足を踏まれまくりながらも井澤謙一は日頃から培った冷静な思考力で、無意味な戦闘を避けつつデパートを巡る。
一つ、二つ、三つ――と思いきや直前で掠め取られて落ち込みつつ、今度こそ三つ。
少なくなってきていた調味料や油をメインとし、セールで急降下してた値段の標的を確実に狙い取っていく。

【謙一】
……取りあえず、買いたいものは一通り買えた、と思っていいか……
Kenichi
少しだが、戦場具合が治まってきている気がする。
つまり、売れるものが売れて、勝敗は兎も角、主婦たちの戦いが終わってきたのを意味する。

【謙一】
レジが混む前に会計済ませるか――
と、勝ちを確信していた謙一はこの時油断していた、と云っていいだろう。
それについて「しまった!」と気付くのは次の瞬間――

【店員】
本日の目玉、とうじょおぉおおおおおおおおお!!!
メガホンで、ソレがアナウンスされたときである。

【謙一】
何――本日の、目玉……?

【客】
ッそこか――!!

【客】
近いッ私のものだあぁあああ!!
何の商品であるのかも訊かずに、アナウンス場所を特定した主婦たちはクラウチングスタートを決める。

【店員】
本日は、にて採取されたレア度星6000の、ヴァニシングドラゴンピーチを、おひとり様1パックまで、税込984円の赤字価格で、30個ご提供おぉおおおお!!

【謙一】
ヴァニシング……ドラゴンピーチだとっ!?
Kenichi
――何ソレ!?
ドラゴンってこと? つまり肉か? いや、ピーチだから桃か!? ていうか1パック約1000円って!! 何個セットなんだ!?
やべえ……。
Kenichi
――見たい!!
井澤家料理人としての血が節約家の魂を超えた。
ということで遅れながらも彼園初心者井澤謙一もレジ前からクラウチングスタートを決め込む。

【謙一】
既に群がってる20人前後には勝てない……だが、まだ間に合う――!
Kenichi
問題は俺の背後、そして別方向からあの棚に接近しているライバル達……!!
全員全力走行……それだけ価値のある食物なのか。俄然見たくなってきたぜ!!

【謙一】
はあぁああああああああああああああ休日出勤の恨みいぃいいいい今こそ俺に見返りの力をおぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!
咄嗟の日頃の理不尽の見返り、すなわち幸運的な力を今ここで呼び戻す、信憑性も実績も皆無な詠唱が彼園のデパートに反響する。
人間、叫ぶと何かいつもよりパワーが出ることがある。
例えば無言で硬球を投げるよりも、全力で叫んで投球した方が、飛距離が伸びたというこれまた信憑性に疑問ありの実験がある。他にも、マンガやアニメの大一番の拮抗で主人公が結構な頻度で叫んで突破している、というデータがあるようなないような。
つまりそういう力がきっと働いて、この時の井澤謙一を味方していたのだ。
Kenichi
届く――!!
加えて、今度は幸運的な何かが作用する!!
謙一の叫びに驚いたとか断じてそういうわけでもなく、ただ何となく人混みが分かれて、丁度謙一の視界に品物が映ったのである。

【謙一】
ん――!? こ、これは――
その瞬間、浮かんだ井澤謙一の疑問は、既に最高潮、フィーバー状態に入っていた自身の突進エネルギーを相殺する力を一割も持たず――

【店員】
フィニーーーーッシュ!!! 売り切れえぇえええええ、届かなかったお客様、残念でしたー……!!

【店員】
今回は流石に用意できたこちらの数が少なかったのもあって、倍率が高すぎました。しばらくは今後のスペシャルタイムセールでは、いつもの法則通り、逆に皆さんお買い求めのできる格安商品をお届けします!!

【店員】
では、本日のスペシャルタイムセールこれにて終了いたします、ありがとうございましたーー!!
建物中の拍手喝采の中、メガホンを持ち取り仕切っていたメガホンの店員が台座から降りて……
最後の一つを、手にしていた男子へと話しかける。

【店員】
いやー高いところから見てたよ君。ナイスダッシュだったね

【謙一】
あ、ども……

【店員】
常連さんだったら申し訳ないのだけど、僕はあまり君の顔を覚えていないんだよねぇ……もしかして、このタイムセールに立ち会ったのは初めてなんじゃないかな?

【謙一】
入店自体、初めてでしたけど……

【店員】
なるほど、それは尚更素晴らしい! 初めてのお客様が、初めてスペシャルタイムに立ち会って、そして勝ち取ったんだ!! 将来屈強な主夫になれるんじゃないかな!

【謙一】
外に出て働くつもりではあるんですけどね……

【客】
ふっ……新入りのくせに、なかなかやるじゃないの

【客】
また強力なライバルが増えてしまったのね。それも、神童級……

【客】
二つ名は、そうね……ヴァニシングドラゴンでいいかしら?

【謙一】
何故二つ名を付けられてるんですか俺は??
Kenichi
てか何でソレなのか明らか過ぎて捻りない!!
Kenichi
いや、そんなことより!

【謙一】
あの、この商品ってもしかして――

【客】
人にモノを尋ねるときは、まず自分から、だろう?

【謙一】
ソレって名前訊いた時だけじゃないすかね……

【客】
皆ぁー! このビリちゃん彼園店に新たな戦士が舞い降りたぞー!! 初入店でスペタイを勝ち抜いた男だー!!

【店員】
認定――コードナンバー:1297! ヴァニシングドラゴンだー!! ヴァニシングドラゴンが、ヴァニシングドラゴンピーチを買っていくぞー!! そのお買い上げを、スタッフ一同見届けいたします!!

【客】
我らカスタマーも続け!! せーの――

【店員】
ヴァーニッシュ! ヴァーニッシュ! ヴァーニッシュ!

【客】
ヴァーニッシュ! ヴァーニッシュ! ヴァーニッシュ!
ここに新たなビリちゃん戦士的なものが誕生した。
営業と買い物そっちのけで同調されるヴァニッシュコール。

【謙一】
……………………
Kenichi
俺最近まともな客と店員を見てない気がする……。
Kenichi
いや、それよりも、どうすんだこの空気……。そりゃ超限定商品手に取っちゃったわけだし当然の流れなんだけど、約1000円のコレ、お買い上げする空気だぞ。
Kenichi
正直、俺コレ――

【客】
ヴァーニッシュ! ヴァーニッシュ! ヴァーニッシュ!

【客】
ヴァーニッシュ! ハーゲ! ヴァーニッシュ!

【謙一】
ハゲてねえ!!!

【noname】
【???】「――え……? 今の――」
……。
…………。
……………………。

【謙一】
……はぁ~~~……
Kenichi
いや、安くて良い処なんだけどなぁ……。
Kenichi
めっちゃ顔覚えられちまったなぁ……どうしようかなぁ、家計を考えてホントにヴァニシングドラゴンになっちまうか、やっぱ優海商店街オンリーにするか。

【謙一】
ていうか買っちまったよ、ほぼほぼ無駄遣い確定じゃん……

【乃乃】
そんなことを口走っては、幾千のユニークカスタマーに怒られますよ、ヴァニシングドラゴンさん

【謙一】
いや、それは分かってるんだけどさ――
謙一固まる。
全く予期していないタイミングでの核弾頭である。
取りあえず一歩飛び退き、お尻を片手でガードする。
その光景を端から見ていた帰路のお客さんたちはどういう状況なのかを冷静に分析していく。

【客】
戦闘……? お店の入口前でフリクションが起きようとしてるの……?

【客】
あの反射神経……間違いなく、相当動けるハゲだ。そしてあの構えから察するに……“機能”はお尻を経由して表示される……――そうか! スカシッペか!!

【客】
ヴァニシングドラゴンが、インキュバスクレイモアの洗礼を浴びようとしているのか……! 流石の新入りも、あのにんじん捌きを初見では太刀打ちできまい――!!

【謙一】
ハゲてねえ。てかインキュバスクレイモアがお前のカスタマーコードか……酷すぎる

【乃乃】
適用力が高すぎるのも考えものですね……ここのお客さんは皆その場のノリであれこれ口走ってるだけですから、歯止めの利く範囲で止まっとかないと黒歴史になりますよ。あと私ここでの二つ名とかありませんし

【謙一】
……………………
……………………
……………………

【謙一】
……――え?
Kenichi
俺いま、カスタマーコードって……
気付けば自分で新たな固有名詞(※この店限定)を創り出してしまっていた自分に気付いてたまらず膝を着いた謙一だった。

【謙一】
――――

【客】
決まったーー……!! インキュバスクレイモアの“機能”が、空気を伝ってヴァニシングドラゴンのお尻を貫いたあぁああああ!!

【乃乃】
私、そんなことしてません……あとインキュバス違います

【客】
いやー一瞬ではあったが、なかなか壮絶なバトルだったね……矢張りヴァニシングドラゴン、相当な素質がある……! もしや、言い伝えに出てくる、あの伝説のカスタマーコード0、エタニティサイクロンの生まれ変わりじゃ――

【乃乃】
このお店、去年できました

【謙一】
クッソ、おもくそ最近出来たての言い伝えじゃねえか……! どう見てもテキトウだよこの店も客も……!!
Kenichi
謎の熱気にいつの間にか俺も毒されていたというのかッ……!
それをよりにもよってこの核弾頭に注意されるとは――!!

【謙一】
ってか、何でお前こんな処にいるの……(←絶望)

【乃乃】
そんな絶望と投げやりな感情のまま会話されましても……私は彼園の人間ですから、居てはいけませぬか?

【謙一】
いや、悪いなんて思っちゃいないけど……彼園町民だったのか……
Kenichi
そういや乃乃は俺と同じ自宅組……というか寮学生ではない、というのは知ってたが。
何故かこの休日である筈の一週間でよりにもよってクラスメイツに遭遇する、この運の無さどうなってんだ俺。

【乃乃】
しかし、このお店に初めて入って、いきなりスペシャルタイムセールに参加して、剰え商品をゲットするだなんて……正直、ドン引きです

【謙一】
せめて凄いって云えよ、実際俺もビックリだよ!
Kenichi
あとお前にドン引きとかされたくないんだけど。

【謙一】
いっつもあんな感じなのか……?

【乃乃】
タイムセール自体はこの時間帯に毎日やってるんですが、殆ど不定期無告知で、このタイムセール時間内にあんな感じのスペシャルセールが発生するんです

【乃乃】
ただ、今日のはいつもと違ってレア度がぶっちぎってましたからね……開店以来5本の指に入る熾烈さでした……私も怖じ気づいてしまって……

【乃乃】
ヴァニシングドラゴンピーチ、残念でした……一生手に入らなさそうな食材なのに……

【謙一】
………………なあ、乃乃、一つ質問なんだが……

【乃乃】
はい、なんざんしょ

【謙一】
コレってもしかして、もしかしなくても、――?

【乃乃】
はい、木耳ですよ
Kenichi
桃が何個か包装された袋か箱をイメージしてたのに、俺の目に入ったのは透明色のフードパック。ホントに「パック」だった……。
そして中に入っていたのは、とても見覚えのある茶色く、細かいやつ。
Kenichi
美味しそうとは思えず、寧ろ――

【謙一】
何で、ヴァニシングドラゴンピーチなんて名前が……

【乃乃】
私も詳しいわけじゃありませんが、確か色が流動的で、時々木と同化して見にくくなるらしいですよ

【謙一】
ドラゴンとピーチは……?

【乃乃】
初めてソレを収穫したと云われる冒険家が、えーと……苗字は忘れたんですが……確か竜果という名前の男性だったと思います。その人が当時疣痔を最高潮に患ってて、もう頭の中がお尻のことでいっぱいだったというのが最有力説の由来ですね

【謙一】
何でソレが最有力になりえるんだろう……
Kenichi
ということで……

【謙一】
はい、あげる
謙一はエコバッグを持ってない乃乃の手を取り、例のフードパックを握らせた。

【乃乃】
え……え――?

【謙一】
残念だったんだろ? ならお前が持って帰れコレ

【乃乃】
な、何を云ってるんですか謙一さん――? 頭、正気ですか?

【謙一】
正直これ以上此処にいると正気を失いそうで怖いけど今は正気だ。まぁ、何だ、お礼みたいなもんかな

【乃乃】
お礼って……何のですか……? 私、これを戴くほどの働きをした覚えは。罰ゲーム奉行ですか?

【謙一】
何でアレのご褒美なんぞ用意せねばならん。ほら、藤間妹の件

【謙一】
アイツ連れてきてくれたのお前だからな。俺はそっちまで気が回らなかったし

【乃乃】
あれは、完全に偶然でしたよ……私寧ろ寝過ごしてしまって、罪悪感すら……
Kenichi
何でそんな微妙なところで罪悪感抱いてくれるのに、毎日あんなに活き活きと罰ゲーム奉行できるんだろう。

【乃乃】
というか、謙一さん、その為だけにあの死闘を――?

【謙一】
いや、あれは単にどんな桃なのか気になっただけで……そもそも桃じゃなかったし……

【謙一】
極めつけに、木耳だからなぁ……ちょっと我が家ではタブーなんだよ

【乃乃】
あぁ……もしかして、中るんですか……?

【謙一】
そゆこと
Kenichi
別に俺は大丈夫なのだが、亜弥がちょっと苦手な体質を持ってるのが判明してからは、我が家には木耳は一切上がらせないルールとなっている。
Kenichi
そんなわけで、俺にとっては1000円の価値もない買い物。
だが実際はその数倍の価値を持っているコレは、そう感じている者が手にするべきだろう。

【謙一】
押しつけるようで悪いが、貰ってくれよ乃乃

【乃乃】
……それなら、仕方ありません……が……

【乃乃】
やっぱり私は、ただ貰うだけでは申し訳ない気持ちが……
Kenichi
誰だろうコイツ。

【謙一】
んー……じゃあ、2学期のいつでもいいから、弁当作ってきてくれ

【乃乃】
え?

【謙一】
但しマトモなのな! イタズラとか一切いれないで真面目な弁当を、俺の為に作ってきてくれ

【乃乃】
け、謙一さんの……為に……ご飯を――

【客】
ひゅーひゅー! 出入口の前でお熱い2人を、私たちは応援するぜーい!!

【客】
ひゅーひゅー! ヴァニシングドラゴンがインキュバスクレイモアに一目惚れの告白タイムだぜーい!!

【客】
ひゅーひゅー! 普通に空気的に邪魔だぜーい!! でも空気読んで見守ります

【謙一】
空気読むんだったらスルーして買い物するなり帰るなりしてほしいんですけど
Kenichi
でもお店の前でめちゃ喋っててすいません……!!

【乃乃】
…~…///////

【謙一】
ん、あれ……乃乃、どうしたお前らしからぬ紅さだぞ……
Kenichi
何か譜已ちゃんを彷彿とさせるなぁ……。

【謙一】
? ってことはアレか、恥ずかしがってるのか? 分かってるだろうけど、告白とかじゃないぞ文脈的に

【乃乃】
わ、分かってるに決まってるじゃないですか! 何を云い出すんですか、変態ですか……!

【謙一】
お前にだけは非難するように云われたくないんだけどそのワード……
Kenichi
何故か怒られた。理不尽である。
Kenichi
まぁ、そういう感じの約束をして、しっかり乃乃には木耳を渡して……
災害の疵痕を感じさせない、元気すぎる町民たちから逃げるように俺は帰路を早歩きするのだった――

【乃乃】
……ただいまー……
Nono
予定よりも結構遅れて、家に帰ってきた。
Nono
廊下を歩き、リビングを通り、キッチンへ。
冷蔵庫の前に、使い染みた買い物袋を置いて……真っ先に目に入ったものを、取り出す。

【乃乃】
…………
Nono
手に入る筈のなかった、絶品。
だけど、それが今私の手元にあることよりも――
Nono
あの人が、私にくれたことが、何よりも――

【乃乃】
…………
Nono
熱い息が、漏れる。同時に声にならない声が外に出る。
ふと、胸に手を当てる。
その動作に、意味は無い……無いのに、どうしてか、そうしたかった。

【乃乃】
……木耳、苦手だったんだ……
Nono
あの人自身が苦手だったのか、それとも家族の誰かが苦手だったのか……何となく後者の方が、似合ってる理由だって思った。あの人は、家を大事にしているような気がしたから。
Nono
ただ、それでも、おかしかった。
だって、普通木耳を食べれない、手に取らない人が、木耳を手に取るわけがない。
それなのに、タイムセールの競争でよりにもよってソレを取っちゃうなんて。
Nono
洒落にならないし値段も高かったから、本当にあの人にとっては最悪な買い物だったのだろう。癖の強い常連さんたちにも覚えられてしまったし……傍目からしても散々だったな、と思う。

【乃乃】
……もう、彼処じゃ会えないのかな……
Nono
本来謙一さんは冨士美町民。だから彼園町に来る用事なんて基本的に無いし、あのデパートはたまに破格レベルのタイムセールを不定期に開催するというだけで、特段安いわけじゃない。
だから謙一さんとあんな処で会うだなんて、想像だにしていなかった。

【乃乃】
…………
Nono
プライベートで偶然知り合いに会うのは、私にとっては結構珍しい。そして私は人と親しくしてきた経験も、それほど無い……あってはならない。
Nono
ただ、それでも最近……4月になって、特変ができてからは、毎日彼らとは喋っている。私は核弾頭として、活動している……なのに、あの人達は壊れない。文句は沢山正直に云ってくるけど、私を縛らない……ソレは私の釘として機能しているからだろうけど、そうだったとしても……
Nono
不思議だった。
あの場所は、どう考えてもおかしくて、私を狂わせてしまいそうで……
Nono
狂ってしまいそうになるくらい、楽しかった。

【乃乃】
謙一さん――
Nono
彼の名を、呟く。木耳を、見ている……ようで見ていない、そんな時間は、矢張り意味が無くて。
変な私に苦笑しながら、取りあえず容れるべきものを冷蔵庫に仕舞っていく。
Nono
晩ご飯の支度をしなくっちゃ。

【乃乃】
木耳は、明日にでも……
Nono
キャベツの推定賞味期限が近い。
だからキャベツをいっぱい炒めることにした。野菜炒めだけど、気持ち的にはキャベツ炒め。
Nono
あまりに多くなってしまいそうなら、明日の昼食にでも回そう。

【乃乃】
……昼食……
Nono
――そういえば。

【乃乃】
お弁当、どうしよ……
Nono
謙一さんに、まだまだ先ではあるけれど……お弁当を作ることに、なってしまった。
この上等な木耳を戴いたのですから、その割には合っていない、小さすぎるお返し。
Nono
2学期の前に、夏休みがある。
今考えることでは、無いのでしょう。
Nono
……なのに……

【乃乃】
どうしよう――謙一さん、好きな料理とか、あるかな

【乃乃】
抑も謙一さん、凄く料理お上手なのに……私の料理なんかで、満足してくれるのかな

【乃乃】
――美味しいって、云ってくれるかな
Nono
何で、こんなに集中が途切れるんだろう。
晩ご飯を作ってる時は、割と無心でいることが多い気がするのに、絶対今日は、おかしかった。

【乃乃】
……云ってくれたら、いいなぁ――
Nono
一部のキャベツが、少し焦げてしまった。