「特変」結成編2-12「物の価値(6)」
あらすじ
「考えろ!! 取り繕うことも誤魔化すこともできない、勝ち目のない、どうしようもない絶望的な今のお前ができることは、何も気にせずお前の真実と向き合うことだ!!」スタジオメッセイのメイン作品『Δ』、「「特変」結成編」2章12節その6。藤間兄妹の事情を理解した謙一くんが選ぶ結末は……? 走る藤間妹の想いとは? 大詰め、そして決着です。
↓物語開始↓

【温】
ッ……あの、ホントに井澤先輩は、護真術を持ってないんですか……!?

【乃乃】
特変破りでも、それ以外の時間でも、謙一さんが闘ったのは今回が初めての筈です。あの人は新規組でしたから、恐らく誰も彼の護真術が何なのか、知らないでしょう

【乃乃】
ですからその質問には答えかねるのですが……少なくとも今は、だいぶダメージを受けているようですね。下手したら特変負けちゃいますね

【温】
何とかその前に、辿り着かないと……

【温】
昴には、その結果は重すぎる……
佐伯乃乃と藤間温は走っていた。
今、一般棟側の校門を抜けて学園大道路に、そしてそのままGACがある方向へひたすら走る。

【乃乃】
……一度開戦している特変破りを中断する方法は、私たちに配られた特変制度についてのルール用紙には言及されていませんでした……

【乃乃】
つまり、確実に外部の人間が中断させる方法は無いと考えるべきです。だから……

【温】
昴か、井澤先輩が対戦意思を放棄するしかない……!
Nono
特変がそれをやると降参扱いで大変なことになってしまう。凪さんや沙綾さんは兎も角として、私は困る。
だから、一番良いのは挑戦者側であるこの子のお兄さんが挑戦を諦めてくれること。
Nono
話を聞く限り……そんな現実を作れるとしたら。
彼が諦めてくれる、最大のカギは、温さん以外に有り得ないだろう。
――その推測は、思わぬ事態で確信に変わる。

【温】
えっ……!?

【乃乃】
……どうやら、“敵方”もそう理解していたようですね
二人の道を阻んだのは、真理学園生。
それも、一人や二人なんてものじゃない。数十人というA等部学生が、二人の女子の前を遮り、そして後方を囲み、逃げ場を無くす。

【温】
な、何で……

【乃乃】
なるほど……上級生、ですか

【安田】
いつの間にやら後輩になってんだもんなぁ、核弾頭さんよ……それで俺らへの嫌がらせが少なくなるかと思ったら、特変に入って更に悪化だよ

【安田】
だけど、今は後輩ってのも変わらねえ事実……折角だ、今ここで、躾けてやるよ……時間はたっぷりあることだしな!

【夏川】
ほんと、悉く指示が適切というか……流石あの人よねー

【夏川】
こりゃ上手くいくぞと思ってたら、「藤間温の監視を増やせ」っていきなり云われて井澤謙一の最期見れなくなったのは残念だけど、まぁ佐伯を虐められるって思えば結構いいかも

【温】
だ、誰ですか……!? 何なんですか、この人たち!?

【乃乃】
50人くらいいますが、全員上級生ですね。私の記憶が間違ってなければ多分全員、A等部2年かと

【乃乃】
……夏川さんは、見間違えるわけがありませんね

【夏川】
アンタにあの時やられてから、もうずっと、頻繁に出血してるんだよ……乙女の身体なんだと思ってんのよ、人の皮被った悪魔……!

【乃乃】
…………一言、返せる言葉があるとしたら……

【乃乃】
自業自得、だとは思わなかったのですね。あれからそれなりに、月日は経ちました。私はもうあの時の私とは違う……だから今なら夏川さんも、客観的にあの頃の貴方たちの行動を省みることもできるでしょう?

【乃乃】
貴方は、彼らに一体何をしたのかが

【夏川】
チッ……それもこれも、全部アンタが元々悪いんでしょうが!! 安田ぁ、とっとと潰しちゃおう!!

【安田】
そういう趣旨じゃないはずだが……まあ、核弾頭の方はそれぐらいの意気でやんなきゃ、どんな仕打ち喰らうか分かんねえしな!
囲んだ者たち全員が、殺気を纏っている。
間違いなく、道を譲る気のない、純然たる敵。

【温】
さ、佐伯先輩ッ……

【乃乃】
すみません、どうやら私への怨嗟も込み込みのようですね
Nono
いつも通り、日頃の行いが裏目に出ているということ。裏というか、もうこうなるってことは最初から明らかではあったはずなのですが。
Nono
仕方無いことです。私は――核弾頭、なのだから。
Nono
……………………。
Nono
だけど。

【乃乃】
歳をとっても、愚昧な、方々――
“宣言:霊結表示・アストールⅤ:乃乃――

【noname】
【ドラゴン】「きあああああぁあああああああああああああああぁぁぁぁ――!!!!」
それは数秒で起きた、光景の変化。

【学生】
「「「!?!?!?」」」
佐伯乃乃が、“宣言”を起こした。
それは当然、核弾頭というこれまでの所業を思い出せば警戒に値する初動。囲った上級生たちは何か厄介な展開になる前に、佐伯乃乃を縛り倒すべきなのであり、彼らもそれは分かっていた。
しかし、初動を理解した時には、もう遅かった――

【noname】
【ドラゴン】「きあああああぁあああああああああああああああぁぁぁぁ――!!!!」
雷がところどころに迸る。
気付けば空は、何かを暗示するかのように厚い雲で光を遮り、優海町は薄暗くなった。
そして、ソレはより際立ち輝いた。

【温】
ッ……ッッッ――!?

【乃乃】
……今日の私は、いつもとは違いますよ。あいにく徹夜をしてしまい、奉行の調子が乱れているのです

【乃乃】
故に――

【noname】
【ドラゴン】「きあああああぁあああああああああああああああぁぁぁぁ――!!!!」

【乃乃】
――此度の嫌がらせは、命の保証もできないかもしれません
学園大道路――片側二車線の広い道路の何処も自動車を通さないくらいに、全てを遮り両脚と尾を着地させた、巨大な龍と呼ぶべき化け物。
それはバチバチと輝いており、というかその輝きで形成されているようだった。
すなわち、簡易的に表現するなら、雷の龍。
その不定形の眼光が、揃って腰を砕かれ立つことはおろか、這い逃げることもできない者どもを乱雑に睨み付けていく。

【安田】
な……ぁ……ぁぁ……

【夏川】
ひ……ぃぃ――!
瞬時にして顔の変わった上級生たちを、変わらぬ乃乃が龍と共に見回す。

【乃乃】
……退いて、くれますね?

【乃乃】
自分のことばかり考えている、私寄りの貴方がたなら、今が貴方がたにとってどんな状況なのか、即座に分かってくれますね?

【乃乃】
……私自身は、殺戮に興味はありません。情さんや奏さんとは違います。ですから、私の楽しめないことを、必要以上にやることも、ないでしょう

【乃乃】
ただ――これでもまだ、温さんの道を遮ろうというなら……

【乃乃】
必要以上のことも、やってみせましょう。何故なら私は、核弾頭なのですから

【温】
さ……佐伯、せ――

【乃乃】
温さんまで、何を腰抜かしてるんですか。貴方は今誰よりも、走らなければいけない人ですよ!

【温】
……! は、はい……!
乃乃の手を借り、温は何とか起き上がる。

【乃乃】
……余計な時間を使ってしまいました……
そしてふにゃふにゃに萎えきった壁を軽々と跨いで、再びGACへ向かい出す。

【温】
…………あの……

【乃乃】
どうしました?

【温】
今のは……佐伯先輩の、護真術、ですか……?

【乃乃】
……いいえ。私の護真術はもっとエレガントなものですよ。そうですね、さっきのは……ええと……

【乃乃】
身に着けるつもりもなかった特技、取りあえず引き出しの奥に仕舞ってる、価値のない物ですかね。温さんの指輪とは、対照的です

【乃乃】
……けど、捨てずに持っておくものですね。役に立って、くれました
Nono
捨てられるものでもないし、捨てるべきものでもない。
Nono
……けど――

【乃乃】
(無駄な、考えですね)
Nono
懺悔の時は、分かってる。悔やみはその時、吐露すればいい。
今は――この子を、お兄さんのもとへ。

【乃乃】
気張ってくださいよ……謙一さん――!!

【昴】
ッ――ハ――!?
静寂する空間。
その次の刹那には、藤間昴はその空間の宙を舞っていた。

【謙一】
…………
勝負を決する一撃を向けた藤間昴は、逆に井澤謙一のアッパーカットを受けた。
初めての攻撃。初めてのダメージ。
その意義は、誰もがその2点を理解する。だが、藤間昴にとってはそれ以上の、全く無視できない非常事態が即座に全身に知らされる。

【昴】
グァッ……!?
地面に落ちた昴は……暫く、立ち上がれない。
それから一度膝と手を着きながら試み……失敗してまた胴体を地に着ける。
フラフラと、時間を懸けながら、再び何とか二足で立ち……

【昴】
はぁ……はぁ……!?
相手を、見詰めようとする。
その視線も、フラフラしているのが一部の観客にも分かった。

【沙綾】
ああ……思いっ切り顎クリーンヒットしちゃったのね。意識が飛びかかってる。やるじゃないリーダー

【沙綾】
ていうかソレできるんだったら早くやればよかったのに

【美甘】
え、何が!? ほんと今、どういう状況なのソッチ!?

【志穂】
……待ってたんだろうよ。二つの意味で
Shiho
ハゲの戦闘能力なんぞ知らんが、藤間昴の護真術……特に“機能”を発動してからの厄介なとこは、マナが拳から肘にかけて重厚に纏綿していること。
それに不用意に触れたら、何か手痛い反撃を自動で貰うかもしれない。つまり本当に防御の選択肢はなく、回避の一方を強制された。元々ハゲが弱っちいのが主因ではあるが。
Shiho
だが、長期戦に持って行くことで、精密なマナの維持をできなくした。そうすることで、藤間の勝利意志を煽り、焦りを作る。結果ガントレット全体ではなく、拳にマナが集中する。これで、「掴める場所」ができたわけだ。ハゲは今まで恐れていた藤間の攻撃を、藤間に触れるということを脅威とは見なさなくなり、簡単にカウンターをかました。
Shiho
……だが、それ以上にアイツは情報を待っていた。その結果は、ティーボを通して私らにも全部、美甘の口から伝わった。

【情】
……くだらねえな

【沙綾】
かーくんにもそれくらいの男気が欲しいところねー

【奏】
と、取りあえず私たちが調べられそうなのはもう無いと思うけど……どうなるんだろ?

【志穂】
何もねーよ、元から。私らにとって余計なものを知っただけだ。最初から藤間をどう料理するかは、アイツの役目だ
Shiho
……お前の答えには。
Shiho
正直、興味があるぞ、ハゲ――

【昴】
はぁ……はぁ……ッ――
集中力が、完全に切れた。
それによって万気相――マナの操作が途切れ、両腕を覆っていた“機能”も消失する。
謙一は、あらためて素肌の腕を、右手小指を見詰める。
そこには、光沢が殆ど失われた指輪が填められていた――

【謙一】
ッ――

【昴】
……!!
謙一は、最早戦闘不能に近い昴に堂々と近付き……胸ぐらを掴み、叫んだ。

【謙一】
お前、こんなとこで、何やってんだよ!!?

【昴】
――!?
Kenichi
……ああ。また、俺は。
何か、やらかしてしまいそうだ。
Kenichi
抑えろ。コイツは、まだマシだ。剣を持っていない。刃なんて、とっくに折れてる。
だから、俺が云うべき言葉は、今の俺ならまだ、分かる……。

【謙一】
なあ、おい……分かってんだろ……お前なぁ、その疲れた拳、振るう相手がいるとしたら、もっと別に居るって!!

【謙一】
本当はもっと、俺たちよりも先に潰さなきゃいけないモノがあるって!!

【昴】
――!
Kenichi
藤間昴――自分ではなく、妹の指輪を取り返そうと今回の特変破りを挑んできた者。
だが、それを提案してきたのは……恐らく、本人じゃない。
Kenichi
それでも、俺たちが悪くないわけでもない。そして藤間が困り果てている最大の要素は、特変に指輪が献上されたという事実なんだ。だから、この特変破りにかける藤間の想いは、本物と云うべきだ。
Kenichi
だが……気付いてる筈だ。
気付いてなければいけない。気付いていないならば、許せない。
Kenichi
お前たちを苛んだ者たちをどうにかしなければ、この事件は解決したとは断じて云えないことに。

【謙一】
……俺も、お前と同じだよ、藤間
Kenichi
――右ポケットに入ったロケットペンダントを意識する。それだけで、俺は何かしらの力を貰えたと、思える。
不思議だし疑わしいかもしれない。だが、これは事実だ。俺はコレがあったから、今まで生きてこれた。人はそういう、大切な物を持つことができる。だから、物の価値を決めるのは本人……いや本人すら割り切れないものなのだ。

【謙一】
なあ――藤間――
Kenichi
……だが。だがな?
Kenichi
お前は、俺と同じなのだとしたら……俺は絶対に、ここで云わないと気が済まないことがある――!!

【謙一】
お前の、取り返したい物はッ――!!

【謙一】
妹さんよりも大事なのかよ!!?

【昴】
ッ――!?
言葉が、駆け巡る。

【情】
ッ!!

【千栄】
――! 今の……
Chihae
何――?

【謙一】
考えろ!! 取り繕うことも誤魔化すこともできない、勝ち目のない、どうしようもない絶望的な今のお前ができることは、何も気にせずお前の真実と向き合うことだ!!

【謙一】
考えろ!! 藤間!!

【謙一】
お前のやるべきは、本当にコレか!!?

【昴】
……………………
俺、の……
やるべき、こと――?

【noname】
【藤間父】「……昴、何、暗い顔してるんだ?」

【昴】
……だって……仕方無い、じゃないか……

【昴】
何も、できなかった……何かをやろうとしたのに、僕は父さんも、母さんも助けられなかった……

【昴】
僕が働けたら……もっと、良い治療を受けれたのに――!

【noname】
【藤間父】「……そんなことまで考えてくれてたんだな……気付けなかった……」

【noname】
【藤間父】「子どものことを、全然見ることができなかった。本当、悔いばっかだな。父さんも、母さんも」

【noname】
【藤間父】「不出来な両親で、ごめんな。……けどな、昴。父さん、一つだけ分かってること、あるんだ」

【noname】
【藤間父】「昴は、何もできなかったわけじゃない。寧ろ、沢山のことをしてくれた」

【noname】
【藤間父】「温をずっと護ってくれた。家のことをやってくれた。だから、父さん達も父さん達なりに頑張って仕事してこれたし、闘病生活にも精が出た。……それでこのザマなのが一層情けないけど」

【noname】
【藤間父】「でも昴は違う。昴は、立派だ。そんな昴、だから……」

【昴】
え……? これは――

【noname】
【藤間父】「これを、託せる……コレ、実は結構高い買い物だったんだよ。母さんとの思い出が一杯詰まってるから手放すつもりは毛頭無かったけど、父さんが死んだら……コレを売って、お金に替えるんだ」

【昴】
死ぬ……なんて、云わないでよ……

【昴】
独りにしないでよ……母さんだけじゃなくて、父さんまで居なくなったら、僕は――

【昴】
温は――!!

【noname】
【藤間父】「そうだ、昴、父さん達はな……温を、心配してるんだよ。きっと温は、独りでは耐えられない。だから――」

【noname】
【藤間父】「何がなんでも、昴は温を護ってあげてくれ。温が、昴みたいに立派になる日まで……」

【noname】
【藤間父】「それに、独りじゃないよ。母さんは温に云ったんだろう? じゃあ父さんも、昴に云う。必ず、絶対――」

【noname】
【藤間父】「父さん達は、昴と温を見守ってる。家族、だからね――」

【昴】
……………………

【昴】
……のど…か……

【謙一】
お前が!! やるべきはッ!!

【謙一】
本当に、コレか!? 藤間昴!!
Kenichi
もし俺が、このペンダントを失って、その一方で妹が危険な状況にあったなら――
Kenichi
迷わずペンダントを、諦める。それは苦渋だ、否定をする気にもならない、取り繕うこともできない喪失だろう。
だが、こうするしかないだろう。二者択一が分かってたら、尚更迷う意味が何処にある?

【謙一】
妹だぞ、たった一人の、妹だ――!

【謙一】
お前がやるべきは……何よりも先にしなきゃいけなかったことは、早急に特変破りの申請をすることじゃない――

【謙一】
不透明な本当の敵から、妹を護る手筈を整えることだったんじゃないのか!?

【謙一】
知ってるだろ、特変破りはいつでも申し込み受け付けてる! お前のだって、いいぜ受けてやるよいつだって! だが、だがな……

【謙一】
この試合だけは、許せねえんだよ!! 俺はァ!!
一通り、井澤謙一が叫び終わる。
そして、胸ぐらを解放し……昴は、真っ直ぐに、倒れ膝を着いた。

【昴】
……俺は……俺の、やるべき、ことは……

【男子】
ッ――藤間ァ! 何してる、立て!! まだ一撃食らっただけだろ!! 指輪を、取り返すんだろ!?

【女子】
立ちなさいよ!! 貴方なんかの為に、どんだけの先輩が動いてると思ってるのよ!! 責任持って、闘って!!

【男子】
おい、1発食らって終わりかチビ!? この役立たずが――!!
思わぬ展開。よろしくない流れなのは誰の目から見ても明らかであり、野次も荒ぶる。
それでも……もうこの時、謙一の言葉で埋め尽くされた昴の耳に届くものは他にはなかった。

【志穂】
この、雑魚、どもッ……! 情を見倣って私も多少暴れてやるかゴラァ……!!

【沙綾】
いやいや、この空気結構好きだから壊さないでよ志穂。あー今日ホント楽しい!

【奏】
全然状況分かんないけど、取りあえずサヤパイが満面の外道顔してるのだけは感じた

【情】
……これ以上盛り上がる要素もねえな。俺は帰る
罵倒で盛り上がる会場の中、結果の見えた情は無線でそう呟いて観客席を歩く。
明らかに帰路に着いてる背中である。

【美甘】
えっと……つまり、謙一は大丈夫って感じ……? 謙一、さっきから無線では全然応答ないけど……

【沙綾】
だってあの人クラスアウトしてるもの。美甘の報告聴いた後で無言で

【美甘】
うっそ、あ、本当だ……! え、マジ今どういう状況……!?

【志穂】
……分からん。が……
Shiho
やりたいことは、やったみたいだな。取りあえず、特変が負けるってことはもう無いだろうし……
あとは藤間がどうなるか、ってことだが――

【温】
う……ひぐっ……うぇぇ……――!!

【noname】
【藤間母】「……どうしたの? また、そんなに、泣いちゃって……」

【温】
だってぇ……だってぇ……――!!

【noname】
【藤間母】「ダメだよ、温……? 泣いてばかりじゃ、お兄ちゃんが困っちゃう」

【温】
昴なんて、どうでもいいもん……! 元気だもんッ、でも、おかーさんは……!

【noname】
【藤間母】「こらこら、お兄ちゃんのことをどうでもいいなんて、云っちゃダメ」

【noname】
【藤間母】「元気だからこそ……お母さんたちとは違って、昴は元気だから、温と一緒に居られるからこそ、大事にしなきゃダメ」

【noname】
【藤間母】「あと、昴じゃなくて、お兄ちゃん、ね?」

【温】
おかーさん……ヤダ……どこにも、行かないで……

【noname】
【藤間母】「……どこにも行かない。だけど、これからも、温の隣に居られるのは、お兄ちゃんだから」

【noname】
【藤間母】「だから、温に一つだけ、お願い」

【温】
お願い……? わたし、何でもきく……! 何でも云って……!

【noname】
【藤間母】「ありがとね、温」

【noname】
【藤間母】「……お兄ちゃんは、すっごくお兄ちゃんしてるけど、実は温に似て泣き虫だったりするんです」

【温】
? そんなの、昴だもんッ、分かってるよ?

【noname】
【藤間母】「ふふっ……そっか? それなら、偉いね温。でも昴じゃなくてお兄ちゃん、ね?」

【noname】
【藤間母】「ね、温。お兄ちゃんは頼りない?」

【温】
全然!

【noname】
【藤間母】「あははっ、そっかー……じゃあ、温お願い。お兄ちゃんはきっとこれからも、頼りないかもしれないけど、それでも温のことを護ろうとしてくれるから――」

【noname】
【藤間母】「温も、お兄ちゃんを護ってあげて? これは、他の誰でもできない、温にしか頼めないし、できないことだから……」

【noname】
【藤間母】「できる?」

【温】
……うん! お母さんが云うなら……わたし、頑張る! 昴、護ってあげる……!

【温】
だから……どこにも、行かないで……?

【noname】
【藤間母】「うん。じゃあ……その為に、もう一つだけお願い、しちゃおっかな――」
Nodoka
――お母さんが、ずっと大切にしてきた物。それは――お父さんとの絆。
私の指に託されたもの……あの頃は大きすぎて何度も落ちてしまったけど、今ならどうしてお母さんが私に頼んでくれたのかが、分かる気がする。
Nodoka
最後の約束。永遠の誓い。
Nodoka
それがある限り、私たちは一緒なんだ。
Nodoka
――だから。
Nodoka
だから、私は――

【温】
お兄ちゃん!!
突然、会場に女子の声が大きく響いた。
当然それは肉声ではなく、スピーカーから、その場の全員に届くように。
だが間違いなくそれは本気の叫びであり、届けるべき相手はたった一人。
すべての罵詈雑言を掻き消し、その一人には清澄に届いた、たった一言。

【昴】
…………

【昴】
温――?
藤間昴の意識が、回復する。
そしてすぐ、姿を探す。このとてもとても広い会場で、たった一人の人間を肉眼で探し出すのは普通に考えて不可能ではある。
が――

【昴】
……!
昴は、すぐに捉えた。
前列シート形式の観客エリアに挟まれた昇降通路の一つに、肩を上下させて、しかし確実に自分を捉えている存在を。

【温】
はぁ……はぁ……はぁ……

【男子】
な、なに――!? 何でアイツが!?

【男子】
ッ……捕らえろ、何も云わせるな――

【乃乃】
邪魔をしないでくれますか?

【情】
次はねえって云った筈だが
彼女の姿を見てすぐ動きを見せた観客たちを、温の後ろに立っていた佐伯乃乃や、丁度温の前を歩いていた衒火情のオーラが牽制する。
つまり彼女は衒火情の道に立ってしまっているのだが、そんなことは全く気にしていなかった。
彼女が今捉えているのは、兄なのだから。
だから、戸惑いなく――

【温】
昴……じゃなくて……お兄ちゃん……

【温】
もう、やめて!! お兄ちゃん、私……――

【温】
指輪、もう要らないから――!!
そう、叫んだ。

【昴】
……………………

【昴】
え……?

【謙一】
…………

【温】
そりゃ、大事だよ!! 手放したくない!! だから、取り返そうとしてくれたのは、本当に、嬉しかった……いつも、そうだよね……文句色々云う癖に、頼む前に動いてくれて……

【温】
それに、昴にとっても……指輪は、私たちの繋がり、だから……絶対に失っちゃいけないって気持ち、あったんだよね?

【温】
でも、でもね……私は昴と違って頭良いからね、分かるんだよ!

【温】
指輪がなくたってお母さんは見てくれてる! お父さんだって絶対に! 私は分かるんだよ!

【温】
だから私も、お母さんとの約束を、守らなきゃいけないの! 守りたいの!!

【温】
昴を――お兄ちゃんを護りたいの!!

【昴】
……の…ど……か……

【温】
お願いだから……勝手に傷付かないでよ……!! 私、嬉しかったけど、頼んでないよ……!! それで昴が傷付いてたら、私お母さんとの約束守れないよ!!

【温】
一緒に居てよ……! 家族なんだから……今までみたいに、無理に頼りにならなくてもいいから、勝手に妹の前から居なくならないでよ!!

【温】
お兄ちゃん――!!

【昴】
…………何だよ……
何だよ、温……。
お前、あんな顔青ざめてた癖に、わんわん泣いてた癖に。

【昴】
いつも、そうだったろ……お前、不満云って全部俺がそれを何とかしてきたのに……

【昴】
どうして……よりにもよって、このタイミングで、そんなこと云うんだよ……

【昴】
お前だってそんな…頭良くないだろ……

【謙一】
……物の価値を決めるのは、少なくともこの場ではお前達兄妹だろうさ

【謙一】
そしてお前と妹さんで、意見は真っ二つに割れていた。あれだけの啖呵を切ってんだ、妹さんの方は本当に指輪要らないんだろうよ。その意思も変わらない

【謙一】
お前はただ、妹さんを護ることしか考えてなかっただけだ。自分が代わりにやらなきゃという程度には、妹さんのことを無力と認識していただけだ

【謙一】
別にそれは一概に悪いとは云わない……ていうかぶっちゃけ気持ちが分かりまくりではあるが、どうやら藤間温という女子はそこまで何もかもがか弱いというわけじゃなさそうだと俺は思ったよ

【謙一】
……さあ、もう一度問うぞ。お前の本当にやるべきことを考えろ

【謙一】
藤間昴。お前は、どうする?

【昴】
……………………
……温は、本当に何も出来ない妹だった。
得意なことといえば泣いて訴えるぐらいじゃないかと。ていうか実際そうだった。
だから、ずっと、今まで、お前を……
温を見てきた、筈だったのに……
本当に、変だ……びっくりだ……

【昴】
いつの間に……ちょっとだけ、立派になってたんだろ……
藤間昴は……尻餅をついた。
……今度は、立ち上がる気配すら、みせない。

【昴】
……もう止めろとか云われたら……止めるしか、ないじゃないか……

【謙一】
…………
Kenichi
動揺、不平不満、哀しみ……色んな感情が混じり点滅しているのが分かる。
Kenichi
だがその表情に、ただ一言名前を付けるとしたら。
Kenichi
嬉しい、だろうか……。